2日間で作ったってホント!? カードゲーム「2030SDGs」制作秘話
イマココラボの稲村です。おかげさまで最近、TVや雑誌などでカードゲーム「2030SDGs」を取り上げていただき、わたし自身も「2030SDGsの共同開発者」として紹介されることが増えてきました。
それはもちろん本当なのですが、こと「ゲーム」部分に関して言えば、作ったのは友人であり株式会社プロジェクトデザイン社長の福井信英氏です。
このあたりの制作の経緯について、おもいのほか興味を持つ人が多いので、今日は制作にまつわる裏話?をしたいと思います。
福井氏とはじめて会ったのはたしか1998年の12月くらいだったと思います。
まだお互い大学生で、とあるベンチャー企業のインターン(と呼ぶにはあまりに即興的で自由な活動でしたが)として10か月くらい密な時間を過ごしました。
僕は大学卒業後にそのままベンチャー企業の立ち上げに参画した(というか転がり込んだ)ので同期と呼べる人間がいません。だから僕は彼を「仮想」同期みたいに思っていて、20代半ばはけっこう彼を意識しながら仕事をしていたフシがあります。
その後も退職をそそのかし合ったり、一緒に仕事をしたりと、時に密に、時に疎遠になりながら、思い出したようにお互いの人生に登場する、そんな関係の旧友が福井氏なのです。
そんな彼が故郷の富山県に作った会社が株式会社プロジェクトデザインで、特にビジネスゲームの制作とそれを使った研修にかけてはピカイチです。
例えばオリックス銀行は数年にわたって彼のつくったゲームを使い続けていますし、最近でいえばトヨタ自動車が新卒採用のワークショップで使っている体感型ワークショップもプロジェクトデザイン社がつくったものです。
実は僕自身も2015年初から2年強、プロジェクトデザインの東京支社の名刺をもって活動していました。
ちょっと前置きが長くなりましたが、そんな中、ふたりで一緒に三重県の津まで出張にいったときに、ゲームが生まれます。
仕事が早めにおわった夕方、たしか5時前くらいだったと思います。三重のお客さんと飲むことになっていたのですが、約束の7時まではだいぶ時間がある。せっかくだから二人であれこれ話そうか、ということになったのです。
ふく「いなむらくん、最近何に興味あるの?」
いな「SDGsってのがあってさー、俺が今まで漠然と感じてたことががっつり仕組みになってるんだよね」
ふく「へぇー、なにそれ?もうちょっとくわしく教えて」
実はSDGsで描かれている世界の姿は僕が長く感覚的に持っていたものでした。だからSDGsを初めて知った瞬間に、雲が晴れるような衝撃を感じたのでした。そんな感想も含め1時間くらい話をしました。
ただその日はそのまま飲みに行ってベロベロになって終了(笑)
続きは翌日でした。仕事を終えて津から名古屋行きの特急電車に乗ったのが夕方5時。それから名古屋に着く6時までの約1時間、改めてSDGsの話をしました。たしかこの車中で「世界の状況メーター」というアイディアを福井氏が口走っていたような気がします。
名古屋から先は、僕は東海道新幹線で東京まで、福井氏は特急で地元の富山までと、別々道のりとなります。
「なんとなく作れる気がするからちょっと考えてみるわー」という言葉を福井氏が残して、名古屋駅で別れたのが6時すぎでした。
そして翌朝。
メッセージをチェックした僕は思わず目を疑います。
「なんと、ほぼゲームが完成した。」
タイムスタンプを見ると、そのメッセージが福井氏から送られてきたのは深夜1時すぎ。
名古屋で別れてから7時間しかたっていません。見ると確かにロジックシート(ゲームの基本構造や数値データが入っているもの)が一緒に送られてきていました。
(これは後からわかるのですが)実はこの時に作られた数値データはほぼ完成していて、その後のトライアルプレイを経ても修正はごくわずかでした。通常、ゲーム作りでは構造ロジックがうまくできている場合でも、数値のバランス調整が大変で、繰り返しトライアルをしながらつめていくものなのです。
それがほぼ一発でできた。
それも普通では考えられないスピードで。
ちなみに福井氏は100を超えるビジネスゲームを開発していますが、いわく「よいゲームほど短期間でできる」のだそうです。3万人以上がプレイしている「The 商社」という有名なビジネスゲームも彼の作なのですが、こちらの制作期間は1週間程度。
(ちなみにあくまでゲームとしての骨子の話で、カードデザインとかデータチェックや印刷と完成までにはもっと時間がかかります)
それが2030SDGsはなんと2日弱。ちょっとありえない早さです。今思い返してみるとやっぱりいわゆる「降りてきた」というか「天才がインスピレーションを得た」状態なんだと思います。
そして、この間僕がやったことといえば、新幹線に乗ったことと、帰宅して一晩寝たことだけ(笑)。僕がことあるごとに言う「僕はゲーム自体の開発にはほとんどタッチしてないんです」という言葉は謙遜でないのです。
実際にはゲームがワークショップとして機能するようになるまでには、振り返りのデザインに相当な作りこみが必要です。「未来水産株式会社」ゲームなど数多くのゲームを生み出しているデニス・メドウズ氏は「ゲームを作るところまでで半分。同じくらいの労力をワークショップや振り返りのデザインにかける必要がある」と言っているそうです。
その意味で僕自身も大きな役割を果たしていると思います。
ただそれはゲーム制作、という言葉ではありません。あえて正確に言えば「企画と運営(ワークショップ)デザインは稲村」「ゲーム制作は福井」ですし、実際に初期はそのように説明していました。
ただその説明ではよくわからないという人が多く、インタビュー等で伝えてもわりとあっさり削除されます(笑)インタビューやイベントでの紹介で伝えるにはなんとも長ったらしくて勝手が悪いことも理解しています。
であればいっそのこと「作ったのは僕ではなくプロジェクトデザインです」と言ってしまってもよさそうなものですが、実際にこれを世に出していく活動をしているのは僕であり、その活動の中で「創始者であるポジション」が持つパワフルさもちゃんと使いたかったのです。
だからちょっと誤解を生みやすい表現なのだけど、福井氏にもお願いして「2030SDGsを共同開発した」とさせてもらっている、そんなところが真実です。
こうして作られた2030SDGsは、はじめての公開ワークショップを2016年5月に実施しています。僕個人のFacebookで35名定員くらいで募集したところ、あっという間に満席となりキャンセル待ちが10人を超えました。また750を超える「興味あり」がつきました。しかもそのほとんどは僕の知らない人たち。いったい何が起こってるんだ!?と思うと同時に、なんとなく納得感もありました。
「みんなこのSDGsみたいな発想を本当に待ち望んでいたんだな」
そしてその後、イベントの満員御礼が続くにつれ、ますます大きな流れを感じて、こんな風に思うようになりました。
「このゲームは、今の世界に必要なものとして生み出された。福井くんを通じて偶然僕のところにやってきたもの。世界の所有物としてちゃんと使われるようにするにはどうしたらいいんだろう?」
その思いはますます強まっています。おかげさまで上海やバンコクといった海外での開催結果も好評で、世界の他の国も含めて広く活用してもらうということをもっと具体的に考えていきたいと、改めて思うこのごろです。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。