SDGsゲームを通じて現実世界があらわれる(イギリス編)
最近海外からも引き合いが多く、5月末頃から1週間の滞在予定でイギリスのリバプールとロンドンで2030SDGsカードゲームを行ってきました。海外展開プロジェクトは一般社団法人ワクプロと共同で進めることになっています。
実は2001年から2004年まで3年間、前職の仕事の関係でロンドンに住んでいたことがあり14年ぶりのイギリスです。3年間も住むとイギリスは第二の故郷でその観点からもワクワクしながらの出張でした。
14年経つと随分変わっただろうなーっと思ったのですが、歴史や景観を守ることが文化として根付いていることもあり、街並みも当時のまま。もちろん新しいビルなど出来ていますが、大英帝国の安定感と懐の深さは変わらずそこにありました。
さて、SDGsカードゲームですが、好評をいただき日本語の通常版以外にも、英語版、さらにカードに書かれた文言を分かりやすくした小学生向けの子供版もあります。
その英語版を使って日本国内で外国人のコミュニティー向けに行ったことはあるのですが、海外での実施は今回が初めてです。
今回はビートルズが生まれたリバプールとロンドンでトータル3回行ったのですが、ロンドンでの2回の違いが象徴的だったのでその2回に関して、ゲームと現実世界がどうつながりうるのか掘り下げて書いてみたいと思います。
ロンドンの1回目はビジネスパーソン、特に金融系の方が多く参加されました。SDGsを投資家サイドから見た場合、PRIというキーワードが出てくるのですが、PRIとはPrinciples for Responsible Investmentの略で、日本語では責任投資原則と言い、世界の解決すべき課題をEnvironment(環境)、Social(社会)、Governance(ガバナンス)の3つの分野(総称してESGと呼ぶ)に整理し、ESGに配慮した責任ある投資を行うことを宣言したものです。
イギリスのPRIからも日本に問い合わせがあり、SDGsゲームを体験してみたい、とのことでこのイベントに来てもらうことにしたこともあり、金融関係の方がかなりいらっしゃいました。
このSDGsカードゲームが本当にパワフルだと思うところは、現実世界と同じことがゲームの世界でもそのまま起こることです。つまり、世界で起こり得るあらゆる可能性が、参加者の意識、そこから発生する行動によって、ゲーム上で疑似体験できるということです。
分かりやすく言うと、自分のことしか考えない人ばかりが多い場合はかなり残念な世界があらわれて、周囲のことを考える人が多い場合は、豊かな世界があらわれる、ということです。ただし、実際には自分のことばかり考えているわけではなく、正義のために自分のミッションに忠実な行動をしても、周り周って分断された世界が顕れたりするのが本当にビックリしますし、自分のミッションはおいておいて周囲のことばかり考えても目標達成できないこともあることがこのゲームの醍醐味でもあります。
ここからはゲーム未体験の方は意味がつかめないこともあるかもしれませんが、ぜひ雰囲気を感じてみてください。
日本でもそうなのですが、このSDGsゲームはビジネスパーソンが多い場の典型的なパターンはゲームは一気に活性化します。それは、ビジネスパーソンは意志決定が早く、交渉も上手な人が多いためです。一方でビジネスパーソンの多くが数値で目標が渡されると数値目標ばかりに目が行く傾向があります。さらに自分がどんな内容のプロジェクトを行っているのか気にせずに進める人が多くでてきます。
ロンドンのこの場でも、振り返りで聞いてみたところ、ほとんどの人はプロジェクトの内容を意識せずに進めていた、とのことでした。世界共通ですね 笑
これを現実に紐づけてみると、数値目標ばかりを追いかけることで、自分がやっている仕事の内容が世界のどんなところに影響しているのか意識していない、ということかもしれませんし、もっと個人レベルで考えた場合、自分たちの消費行動や購買行動が何につながっているか、ということになかなか意識出来ていないことと同じことかもしれません。
また、ビジネスパーソンが多い場で一般的によく起こることは、自分の目標をまず達成する、その後、自分の達成したものを確保した上で、他の人に対して貢献しはじめます。ロンドン1回目でも全く同じ動き方でした。
ところが、日本でもそうですがNPOや教育系の人が集まる場合はどうなるでしょうか?
自分の目標達成よりも、全体での達成、周囲の達成に対して意識を向け、自分を犠牲にしてでも他者を助ける人がかなりの確率で現れます。また、そのような人たちの相当数は自分がどんなプロジェクトを行っているか意識しています。
ロンドン2回目の場はNPO/NGOの人が半数近くいて、振り返りの時に自分の目標達成をあきらめて全体の世界のために貢献した人が複数人現れていました。また、活性化はそれほどしませんでしたが全体としてバランスが取れた世界があらわれました。
これを現実に当てはめると、周囲の人を気にする人が多い場合はバランスが取れた世界があらわれやすいかもしれません。一方で経済の循環が少なく、活性化しない世界があらわれるかもしれませんし、周囲を気にする人たちは自己犠牲的に関わることで、理想の世界を阻んでいる社会や周囲の人に対してある意味嫌悪感を抱えたままになるかもしれません。
ゲーム体験を紐解き、その体験を振り返ることで現実社会と同じような構造が見えてきます。つまり、そこで活動する人たちの集合意識が世界を創っている、ということを目の当たりにすることができます。
もっと分かりやすい例は、このゲームはゲーム後半に国連のような全体を統括する集団が出来ると上手くいくケースが多いです。
ただ、そればかりでもないのがこのゲームが現実を模している面白さです。例えば、以前、このゲームに参加した人が「あ、このゲームは国連を作ると上手くいくんだ。今度やる時は国連を作ろう」と気づきました。その人が次のゲームイベントに来て、ゲーム冒頭から国連を作ろうとしました。
一体どうなるでしょう?
7割くらいの人はその人が言うように国連のような全体を統括することに賛同しますが、3割くらいの人は「なんか全体をコントロールしようとして嫌な感じ」とその動きに賛同しません。まさに現実世界と同じです。
もう1つ分かりやすい例を挙げてみましょう。ある企業でこのゲームをやった時、かなり多くの人が自分の目標以上に、ある人は自分の目標の倍を集めようと行動していました。振り返りの時、なぜ目標以上を集めようとしていたのか聞いてみたところ、社内用語に、目標以上に達成するのが素晴らしい「ハイ達成」、目標の倍達成するのが素晴らしい「ダブル達成」という言葉があるようでした。この考えに従った行動を参加者が取る、組織文化がそのままあらわれる、ということです。
ちなみに、この時は一部の人のところに富が集中したため、全体の世界はバランスが取れませんでした。現実の世界でも一部の人に富が集中することで同じような世界が現れることと同じかもしれません。
3回のイギリスでのイベントを通じて改めて思うところは、国境を越えても人は同じような反応をして、同じように現実を反映するんだ、ということです。
ロンドンで他にも印象深かった発言は、ある人が「ゲームのルールを正しく理解できなくて初めのうちゲームに全然参加できなかった」ということを発言しました。それに対して、他の人が「現実世界でも情報を手に入れることができず世界の動きから取り残された人がいる」と発言しました。これもまさに現実を反映していますよね。
このゲームは、意図的に失敗させて失敗から学ばせよう、意図的に成功させて成功から学ばせよう、というデザインされていません。とにかくニュートラルであらゆる可能性があらわれうるようにデザインされています。
そのため、成人に対して何かを学ばせようとするということ、つまり、失敗させて失敗から学ばせよう、成功させて成功から学ばせようというアプローチ自体が学びに制限を作ることになります。どういうことかと言うと、学ばせたいと思う学び自体は起こるかもしれませんが、それ以外の学びは起こらない、決められた学びという制限の中では他に起こりえた学びは起こらない、ということです。
そのため、特にイマココラボで主催するゲームイベントはこうなったら素晴らしいとか、バランスが取れた世界を実現しなければならない、というコントロールは一切しません。それは、人は自分の行動とその結果にちゃんと気づくことができれば、そこからその人に必要な学びが必ず起こる、その人に必要な学びこそがその人の意識の変化、進化につながる、ということを大切にしているからです。
アインシュタインの言葉でこのような言葉があります。
『我々の直面する問題は、それをつくりだした時と同じレベルの意識によって解決することはできない。』
これだけ世界がつながって問題が複雑化する中で答えは1つではありません。その問題を解決する唯一の手段は我々個々人が自分の行動と結果に気づき、その気づきから学ぶという意識の変化、進化しかないかもしれません。
初海外進出が第二の故郷であるイギリスで本当に楽しかったです。今回を踏まえて、次回は複数の国の人が同時に参加する場でやってみたい思いが益々増えました。
本記事は村中(真ん中)筆