「縮こまるSDGs」と「解放するSDGs」

「何をしたらSDGsになるんですか?」
「わが社のプロジェクトはSDGsに取り組んでいると言って大丈夫でしょうか?」

SDGsに関する講演やワークショップで、こんな質問をよく受けます。
話を聞いてみると、SDGsをどうも“遵守すべきルール”として捉えている。そんな人が多いような気がします。怖いもの、守らないと叱られるといっては言い過ぎかもしれないけど……。なんというか、正解を求め、答えを合わせにいくことに意識を向ける人がけっこう多い印象があります。

SDGsのような従来の発想に縛られないものを実現していくときに、そんな意識ではちょっと苦しいと感じます。発想や行動の起点がその人個人の内発的なものではなく、世間的によさそうなものや誰かが正しいといったもの、つまり外発的なものに感じるからです。

外発的なものは、ちょっとつまづくとすぐに折れてしまいます。
(ちょっと話はそれますが、その人本来の興味から生まれない活動は、”折れる”ことで、その人の本来のエネルギーに早くつながるきっかけになります。、その意味で、“折れる”ことはとても意味があると思います)

いずれにせよSDGsという「正解」に合わせることになって、縮こまってしまう。
絵にするとこんな感じでしょうか。

 

それに対して、SDGsとの付き合い方として僕がおすすめしたいのがこっち。

 

ルールの中にはめ込まず、バーンッと自由に散らばす感じ。
講演だと、たいがいここで会場から笑いが起こります。

SDGsを誰かが決めた正解としてではなく、
既存の当たり前を壊し、発想の枠を広げてくれるツールとして使う。
そしてやりたいことやっちゃいましょう、と。

不正解を極度に嫌う風潮がある今の日本では、これくらいの感覚がちょうどいいんじゃないかと僕は思います。

 

あらためてSDGsを考えてみる

SDGsは動き出した試作品です。
世界中が合意した、とても素晴らしい、奇跡のようなアウトプットですが不完全なものです。

 

17の目標(ゴール)があらかじめ設定されているSDGsは、未来の姿から逆算して現在の施策を考えるバックキャスティング(backcasting)の発想で作られています。

「できないかもしれないけど、とにかくやってみよう!」って呼びかける、意外と”やんちゃな”チャレンジでもあります。

普段のくらしの中でわたしたちは、今のルールや社会を当たり前のものと考えます。
完全なものだと勘違いしがち。

それは、社会全体のコンセンサスになってるかもしれないけど、それは今この瞬間だけのこと。気に入らなかったら変えてもいい。盤石だと思っていたものが、実はティッシュペーパーのように薄っぺらな存在なのかもしれない。だから壊す。自分の当たり前を壊す。壊したうえで開放する、広げる――。

そうは言っても、ゼロベースのイノベーションはなかなか存在しませんよね。今の枠を“壊す”“広げる”ためには、叩き台やヒントになる補助線が必要です。その役目を担うのがSDGsだと考えているんです。

 

大事なのは「見る・気づく・壊す」こと

でも、どうやって“壊す”“広げる”といったアクションを起こせばいいのでしょう。

この問いに対して僕は、「特別なことじゃなくていい」と答えています。まずは自分が「こうだな」と思う感覚が基になっているアクションから実行に移してみるのはどうでしょう。
たとえば家庭内の家事分担。
これって、よく考えるとパートナーシップのあり方ですよね。ほかにも、子育て、教育、お金の使い方、地域とのかかわり方、自然との接し方、メディアをどう見るか……。
そのすべてがSDGsにつながるアクションになると思うんです。

その際に気をつけてほしいのは、アクションが目的になってしまうこと。

「期限が切られているからここまでにやりましょう」と言われて突っ走るだけではダメ。重要なのはその前段階。すでにあるものを漠然と受け入れるんじゃなくって、疑問や違和感がないのか心の中を見て自問自答する、次に自分で決める、そしてアクションに移す。アクションに移すことが、目的でもゴールでもなく、また、気づき、壊し、アクションに移す。 「見る、気づく、壊す」が大事なんです。

同じアクションでもこの感覚から実行されるアクションは全然違う。それこそが本当の意味でSDGsが求めていること、やろうとしていることだと捉えています。

 

求めている答えはアクションの延長線上にある

「見る、気づく、壊す」の感覚から新しい世界を描きたくても、壊すことは簡単なことではありません。それはSDGsにも当てはまります。例えばSDGsには「ジェンダー平等」や「人や国の不平等をなくす」といった目標が掲げられてますが、LGBTQ(性的少数者)に関しては具体的に書かれてない。その理由の一つに、同性婚を認める国がある一方で、同性間の性行為を厳罰に処する国があることが挙げられるでしょう。

現時点では、多様な社会的、文化的背景の中で国連の場での合意が難しいこともあるんです。世界各国のコンセンサスを得るために古いプロトコルを使わざるを得ない場合もある。そう考えると、SDGsの大きなキーワードは「同床異夢」だとも言えます。異なる夢を見ている人もとりあえず同じ床に乗ってもらうためには、そこでしか手が打てなかった。これが今のSDGsの限界なのかもしれませんね。

こんなふうに書いているからといって、決してSDGsを否定したり、不十分だと考えているわけではありません。清濁併せ呑む結果のように見えるかもしれないけど、それでも壮大な疑問を人々に問いかけたことは大きな意味がある。2030年の達成に向けて世界規模での合意にこぎつけたことは奇跡的なことだと思います。

目標を設定した2030年が終わった後、次のアジェンダを設定するにあたって、これまでにやってきたことで、できたこと、できなかったことを、その後の数十年でどうしていくかという話に広がっていくでしょう。その時が本当のスタートと言えるかもしれない。本当に求めている答えが徐々に表れてくるかもしれません。

つまりSDGsは完成品ではなく、動き始めている試作品。

僕たちは今、この試作品を使って検証や改善を繰り返す壮大なプロトタイピングの途中です。求めているのは現在のSDGsそのものじゃない。このアクションの延長線上にあるんです。

 

共同創業者/共同代表
稲村 健夫
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